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幸い [3分間メッセージ]

みなさん、こんにちは。
昨日の礼拝は黒田先生が他教会でのご奉仕のため、協力牧師の先生が、きてくださいました。
ありがとうございました。詩篇1:1~6から、学びました。
「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
 まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえをくちずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。(詩篇1:1~3)


今日は、黒田先生の、3分間メッセージを記載したいと、思います。
どうかお付き合いください。

心の休息
『いかがお過ごしでしょうか。今回は、「心の休息」と題してお話をいたします。
 さっそくですが、働くことを美徳としてきた現代人、とくに中高年の男性にとって仕事を休んで心の休息を得るとか、趣味や娯楽を楽しむとか、そのようなことはあまり得意ではないようです。というのも、何かもったいないような気がしてならないからだというのです。
 けれども、無理しすぎやがんばりすぎは周りに心配をかけますし、ときにからだをこわしてしまったり、あるいは精神衛生上よろしくないということもあるのではないでしょうか。さらにまた、仕事にしても子育てにしても、また人間関係にしても、無理しすぎやがんばりすぎは心身の疲れだけではなしに、何が本当に大切なことなのかさえわからなくなってしまうことがあるというふうに思うのです。
 ところで、ハンセン病患者の精神科医師であり、また大学の教師でもあった女性に神谷美恵子さんという人がいましたが、彼女は自らが記したある本の中にこんな言葉を残しています。「生きがいのある生活を送るためには、たえず人間関係に気をくばり、たえず何か行動していなくてはならないのかというと私は必ずしもそう思いません。・・・人間は何も年がら年中、人のために行動をしていなくてもいいのだと思います。ときには<何かのために>という目的行動を離れて、自らの心を休ませ、楽しませる方法をそれぞれの人が自分の個性にあわせて工夫していくとよいと思うのです。他人に迷惑にならない方法ならなんでもよいわけでしょう。そうして、自分独特の心の世界で生きる喜び、生きる楽しみを味わったならば、その心をたずさえて現実の世界に戻ってきましょう。そうすれば、ことさらに肩をいからせなくても、自然に生きがいが、ほほえみやユーモアとなって他人にも伝わっていきます。(「存在の重み」みすず書房)と・・・。
 なお、あなたはいかがでしょうか。慌ただしい日常生活や複雑な人間関係の中で疲れ、自分を見失ってはいないでしょうか。イエス・キリストのことば「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」マルコの福音書6章31節。

記事:ぶぅ

てことで [3分間メッセージ]

改めましてこんにちは。ぶぅです。
22日の日曜日は、黒田先生ご夫妻が不在のため、協力牧師の先生が、来てくださいました。
ありがとうございました。
今回のメッセージは、詩篇3章からでした。
ダビデが自分の息子から王位、また命までも奪われようとしていたとき、どうしてぐっすり眠れたのか、それは主の助けを確信し、主が助けてくださるからと心の底から信じていたから。ということを、学びました。

今回は黒田先生の、ショートメッセージを記載したいと思います。

いかがお過ごしでしょうか。今回は、「一週間の生活リズム」と題してお話をいたします。
あるとき、本屋さんをぶらぶらしていましたら、売れ残りの手帳やカレンダーの半額セールをやっていました。最近は、手帳の種類がずいぶん増えています。使う人の使い道によって、手帳の編集にも様々な工夫がされています。しかしどの手帳を見ても、ある共通点があるのに気が付きます。それは一週間のカレンダーが月曜日から始まっていることです。日本人にとって一週間の生活リズムは、月曜日の仕事始めからスタートして、週末の休息日、日曜日で終わるというパターンなのです。働いては休み、働いては休む。これがこの世の人々の人生の大きな枠組、前提なのです。しかしこの生活リズムは一体どこから始まったのでしょうか。
旧約聖書では、神様が六日間で世界を造られ七日目に休まれた、というので第七日目が「安息日」となり、この日は何の仕事もしてはならない日となりました。旧約聖書が世界に貢献した大きな働きの一つはこの安息日です。どの世界にも休日はありましたが、暦というものを七日ごとのサイクルで考え、その中で一日は必ず休むという生活リズムを、人類史上はじめて説いたのが旧約聖書でした。
なお、イエス・キリストが来られますと、安息日とは「休む」という消極面ではなく、七日目に神様は「造った世界を祝福する」というわざをされたのだから、もっともっと神を喜び神に感謝する行為、すなわち礼拝とともに善いわざをする日だ、という積極面が強調されました。それでキリストは安息日であっても、積極的に病人を癒されたのです。現在、クリスチャンたちは一週間の生活リズムを日曜日からスタートさせます。私たちは、新しい週の初めに、まず神様を喜び、神を礼拝することによって、新しい力を与えられます。そしてこの力に押し出されて、それぞれの仕事の場にでかけ、そこで神の子としての光を輝かせるようにと働きます。新しい一週間のスタートの日は日曜日なのです。
さて、あなたの一週間の生活リズムはどちらでしょうか。あなたはどこで「魂の充電」をされているでしょうか。イエス・キリストのことば「人の子は安息日の主です。」マタイの福音書12章8節

どんなときにも満ち足りた心 [3分間メッセージ]

みなさん、こんにちは、ぶぅです。
ぷぅじゃないんです。ぶぅなんです。

昨日は、教会協力牧師の先生が、ご夫妻で、奉仕にきてくださいました。
ありがとうございました。
毎回、とても、わかりやすく、また楽しい説教をしてくださいます。
遊び心満載です。今回は、詩篇4篇から学びました。

今日は、黒田明先生による、3分間メッセージです。要約なしです。
題名:どんなときにも満ち足りた心

いかがお過ごしでしょうか。今回は、「どんなときにも満ち足りた心」と題してお話をいたします。
グリム童話の中に「貧しい漁師と魔法の魚」という民話があります。ある日、貧乏な漁師が魔法の魚を釣り上げます。その魚が人間のことばで助けて下さいと頼むので、心の優しい漁師は魚を逃がしてやります。漁師は家へ帰って奥さんに言います。「今日は善いことをしたので気持ちがいい」。しかし、話を聞いた奥さんは黙ってはいません。「何で魔法の魚に頼みごとをしなかったのよ!」。漁師は海へ戻って魚に頼みます。「お魚さん、お魚さん、女房が小さな家を欲しがっています。」家へ帰るとあら不思議、あのぼろ屋がこぎれいな一軒家に大変身。ところが漁師の奥さん欲が出てくる。「なんでこんな小さなことを頼んだのよ、あんたもう一度行って魚に頼んどいで、今度はでっかい家を!」とぼとぼと漁師はまた海へ。今度の頼みもOK。しかし奥さんの要求はエスカレート。王様になりたい、皇帝になりたいとつりあがり、ついに全世界を治める神さまの地位を要求したとき、漁師の家は元のもくあみ、あのぼろぼろ小屋に戻ってしまいます。
なお、この話はヨーロッパ各地に少しずつ形を変えて伝わっています。魚が黄金の魚や人魚に変わったり、海が湖に変わったりと様々なバリエーションがあります。人々はこの民話を自戒を込めて子孫に伝えていきました。人間の欲望は限りがない、人間は満足するということを知らない。人間はなんと哀れな存在だろう。大昔から人々は、この話によって自分の欲望を戒めてきたのです。
さて、パウロはこう言います。「わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは、、、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘訣を心得ている」(ピリピ4:11・12口語訳)。どうしてそんなことができるのでしょうか。パウロは言います。「私は私を強くしてくださる方によって、何事でもすることができる(4:13)。」彼を強くしてくださる方、つまりイエス・キリストによって与えられる大いなる恵みがそれを可能とするのです。どんなときにも満ち足りることができる、すばらしい心が与えられたいものです。

以上です。今週もみなさんの上に神様の豊かな祝福がありますように。
あ、忘れてた。
昨日の日曜日は、かずくんからブルーベリーをいただきました☆
めちゃうまだった。手止まらなかったです。
あと、お花もきれいだったので写真載せます。無題2.png
無題.png

罪の告白と神の赦し [3分間メッセージ]

みなさん、こばにゃちは、ぶぅです。
相も変わらずぶぅぶぅうるさいぶぅです。
いま、預かっている子猫が、お膝で寝ているのですが、あったかい!!
クーラー利かせながら膝あたたかい。
こたつでアイス食べるようなものですね。
歯みがきながら、肉まん食べるようなものですね。
ちょっとずれましたか。

では、本題。
今日は、教会協力牧師の吉澤先生ご夫妻が、奉仕に来てくださいました。
ありがとうございます。
今日のメッセージの題は「大盾で囲む愛」です。
ちゃんと、ぶぅ、メモとりましたよ。詩篇5篇から取り次いでいただきました。
詩篇5:3見張るということは、神の語りかけに耳をかたむけるということ。
私たちはデリケート、でも、体も心も主によって守られている。
目には見えないけど、神の愛に囲まれている実感をもつといいですねって話でした。

てことで、今回のブログは、黒田明先生の3分間メッセージです。
題 罪の告白と神の赦し(要約なしです)

いかがお過ごしでしょうか。今回は、「罪の告白と神の赦し」と題してお話をいたします。
キリスト教信仰の根本的な特徴の一つは、完全なるお方、神さまという鏡に自分を映したとき、自分がいかに小さく、罪に汚れているかを認めることです。つまり、率直に自分の罪を認め、それを大胆に告白して神さまの赦しを乞い求めるということです。罪の告白と神の赦しを願うこと、これがなければもはやキリスト教ではありません。
 聖書を読んだことのある方がすぐ気がつくことですが、聖書に登場する代表的な人物は、決して美化されて書かれてはいません。むしろその犯した様々な罪、人間的弱さが隠されることなく明らかにされています。たとえば、イスラエル民族をエジプトから脱出させた偉大な指導者モーセ。彼は殺人を犯して砂漠に逃げ、40年もの間、逃亡者として亡命生活をしなければなりませんでした。ユダヤ最大の王様ダビデ。彼は自分の部下に美人の奥さんがいることを知ると、その奥さんを奪ったあげく部下を殺してしまいます。イエス様の十二弟子の中の一番弟子だったペテロ。彼はイエスさまが十字架で殺される直前、「そんな人は知らない」と言ってイエス様の弟子であることを隠して逃げてしまいます。このように、聖書は罪という暗黒の力の前に人間がいかに弱くもろいものであるか、ということをあますところなくえぐり出しています。
 しかし、彼らが心から自分の罪をを悔い改めて神さまの前にひれ伏し、赦しを乞い求めたとき、神さまからの完全な赦しが与えられました。聖書がこのように彼らの罪をあからさまに描き、少しもそれを覆い隠そうとしないのは、「神さまは罪人を赦したもう」という信仰があるからです。
 罪を告白するというのは自分自身を正直に見つめることです。自分で自分をごまかさず、ありのままの自分を見つめるというのは大変な勇気がいります。これは、人間個人の問題だけではありません。国と国との関係についても言えることです。以前、韓国の大統領が日本に来られたとき、日本側の対応の仕方で一番かけていたものは、まさにこの「自分自身の過去を正しく見つめる」ということだったようです。ヴァイツゼッカーというドイツ連邦大統領の有名なことばに「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」というのがありますが、悔い改めに導かれやすい素直な心をもちあわせていたいものです。

今日は、チャペルタイムではありませんが、今日の礼拝の応答曲の一部を掲載して、終わりにします。
新聖歌♪ 210
「罪 咎を担う 友なるイエスに
打ち明けるとは いかなる幸ぞ
安きのなき者 悩み負う者
友なるイエスをば 訪れよかし」
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神の作品 [3分間メッセージ]

みなさん、こばにちは、ぶぅでございます。
ぎりぎり、日曜日更新じゃない!!
いま、W・キッペスの「イエスは助けてくれますか」という本を読んでいます。
サブタイトルの「闘いの中にいるあなたへ」に心惹かれて買ってみました。
文中に、注釈があり、聖書のどこに載っている聖句か、語句の意味など、わかりやすく書かれています。まだ全部は読んでいませんが、一番最初の章の「信仰の試し」というところ、世界で起こった大きな災害についての箇所が、一番目を引きました。
災害はなぜ起こるのか、また少し違いますが、戦争はなぜ起こるのか。
ぶぅは、そこに関心があるのです。D・M・ロイドジョンズの「神はなぜ戦争をお許しになるのか」という本も読んでみたいと思ってます。
「神を愛する者たち、つまり御計画に従って、召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています。(ローマ手紙8:28)」

さて、今週は協力牧師の先生がメッセージをしてくださいました。
ぶぅは行けなかったので、聞けなかったのですが、よき時間となったことを確信します。
今日のブログは、黒田明先生による、3分間メッセージです。要約なしです。

「神の作品」

 いかがお過ごしでしょうか。今回は、「神の作品」と題してお話をいたします。
 ルイジ・コラーニというドイツの有名なデザイナーをご存じでしょうか。1928年生まれ、パリ大学で航空工学を学んだ彼のデザインの特徴は、奇抜ながらも流れるように美しい曲線にあります。彼がデザインする車や家具や食器は、宇宙空間にでも置いたらピッタリするような独特の雰囲気があります。そのコラーニがこんなことを言っています。「人間には自然世界より優れたものはできない。たとえば、鶏の卵。あのシンプルで美しく機能的な曲線、こんなすばらしい自然のデザインを人間は超えることができない。」なるほど、我々凡人が見慣れている卵でも、天才はそこに自然の摂理を見ることができるようです。
 ところで、あの美しい卵の形はいったい誰がデザインしたのでしょうか。私たちの身の回りにはたくさんの美しいデザインがあります。たとえば、雪の結晶の美しさ、あんな小さな世界にまですばらしいデザインがあります。さらにはミツバチ、彼らはどうしてあんなにも正確な六角形の巣を作ることができるのでしょうか。私たちは、偏見のない目で自然世界を見るならば、この世界が誰かによって、隅々に至るまで、美しくデザインされていることがわかるのです。形ばかりではなく、色の配色もそうです。森の色の基本は緑、空の色は青と誰が決めたのです。もし山や森の色がいつも赤なら、人間の精神は狂ってしまうでしょう。もし空の色がいつも灰色だったら、私たちは、喜びということを知らなかったでしょう。まことに神様の造られた世界は「極めて良かった(創世記1:31)」のです。
 神様は自然世界の形や色ばかりではなく、私たち人間の心と人生をも美しくデザインされます。人間が、他のすべての動物と全く異なっている点は、私たちが「デザインする」ことができ、「美」を追求できる動物だということです。それは私たちがデザイナーである神様にかたどって造られたからです。私たちは自分の人生をデザインする責任が与えられているのです。
 聖書のことば。「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。(Ⅱエペソ2:10)

特別な広告 [3分間メッセージ]

はぁい、みなさま、こばにちは。
ぶぅでございます。
いよいよ、明後日は、合同賛美集会になります。
大好きな兄弟姉妹と一緒に、神様へ感謝の賛美を捧げることができる。
本当に、素晴らしい一日になると確信してます♡
って、ぶぅがこんなに真面目な文を書くなんて。
みんな、ハトが豆食ってポーみたいな顔しちゃうかな。
意外性も必要でしょー♬
てことで、今回、協力牧師の先生がメッセージをしてくださったので、ブログは、黒田明先生による3分間メッセージになります(要約なしです)
余談になりますが、協力牧師先生は、穏やかな目をした、とても優しい先生です。
奥様も、一緒に来てくださっているのですが、明るくて、常に笑って接してくださいます。
いつか、この牧師先生夫妻の紹介ブログ書きたいです。

題=特別な広告

いかがお過ごしでしょうか。今回は「特別な広告」と題してお話をいたします。
最近の新聞は広告だらけです。全面広告があるかと思えば、ずいぶんお金をかけている両面広告もあります。何とかして、できるだけ多くの人に見てもらいたいのでしょう。けれども、たった一人にだけ見てもらえればよいという新聞広告をふと見かけました。
それは、あるスポーツ新聞の一番下の欄にあった、たった2行の尋ね人広告なるものです。
こんな広告でした。「トシオ、スベテ解決シタ。家へ帰レ。連絡待ツ。父」・・・いったい、どんな
事情があったのか誰にもわかりません。これはトシオさんにしかわからない広告です。
何かの問題がトシオさんを家から飛び出させたのでしょう。この広告を読まなかったら、トシオさんは問題が解決していることを知らず、父親との再会、そして和解による新しい人生を始めることができないのです。
ところで、不思議に思われるかもしれませんが、人類にあてて広告されている、さらにもっと言えば、特別にあなたにあてて、広告されているメッセージがこの世にあります。それは聖書です。聖書に書いてある内容を簡単に言うと、「神様と人間の間を断絶させているのは私たちの罪である。それで人間は悲惨の中にある。しかしこれをイエス・キリストが解決してくださった。このすばらしいニュースを知って、神様のもとへ帰っていらっしゃい。」ということです。ちょうど新聞のあの2行広告のように、「スベテ解決シタ。家ヘ帰レ」なのです。
新聞には、つまり世の中には派手やかな、人目をひくおいしそうな大きな広告があふれています。そしてこちらの人生のほうがすばらしいと主張しています。しかしそこには心と心の交流、人格と人格のふれあいはありません。世間の広告はあなただけに、名前であなたの呼びかけているのではありません。あなたは十把ひとからげの単なる「消費者」にすぎません。聖書だけがあなたに直接呼びかけています。家へ帰れ、神のもとへ帰れと。
神のことば。「わたしは、あなたの背きの罪を雲のように。あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」イザヤ書44:22

以上になります。

主よ。御力のゆえに、あなたがあがめられますように。私たちは歌い、あなたの威力をほめ歌います。詩篇21:13

今週の聖歌♪ 新聖歌155
「全きところなく 傷つける身を 優しき手を伸べ 癒し給えり」

たくましいイエスさま [3分間メッセージ]

みなさま、こばにちは。ぶぅです。
もうすぐ、クリスマスですね。
なんて早いんでしょう。
今年は、ぶぅにとって飛躍年でした。
いろいろ性格も変わりました。益子の教会で、心から神様に委ねることを学びました。
素の自分が許されることを知りました。イエス様が、そばにいてくださることを感じました。
何年かぶりに風邪もひきました。神様、ありがとう。
クリスマス、みなさんは、どう過ごされるでしょうか。
神さまが、みなさまの真ん中にいてくださりますように。
おっと、めずらしく、まじめだ。

そして遅くなってしまって申し訳ないのですが、先週の日曜日は、協力牧師先生が、メッセージをしてくださいました。
協力牧師先生は、今年いっぱいで益子教会を離れて(?)しまいます。
完全に会わなくなるわけではないと思いますが、メッセージをしてくださるのが、今年いっぱい
なので、寂しいです。
先週から「家族」をテーマにメッセージを取り次いでくださっています。
ファミリータイムの重要性、人間関係の築き方の提供など、わかりやすい資料付きでお話してくださいました。

というわけで、今回は黒田明先生の3分間メッセージです。
題名は「たくましいイエスさま」要約なしです。

いかがお過ごしでしょうか。今回は、「たくましいイエスさま」と題してお話をいたします。
イエス・キリストの肖像画を見ると、たいていは西洋人の顔をしていて、金髪になっています。しかし、そもそもイエス・キリストはセム系のユダヤ人でしたから、アジア人の顔をしていて、髪の毛は黒色をしていたのではないでしょうか。それに、小さいときから大工として肉体労働に明け暮れ、また伝道活動に入られてからは、毎日亜熱帯地方のパレスチナ地方を歩き回られたわけですから、きっと日に焼けた顔つきとたくましい体つきだったのではないでしょうか。
ところで、ある日のことになりますが、エルサレムの神殿に設置されていた屋台をイエスさまがひっくりかえして暴れたという記事が聖書に出てきます。では、イエスさまはなぜそのようなことをなさったのかというと、神聖なはずの神さまの神殿が神聖ならざることに日常茶飯事のように使われるようになってしまったからです。この頃、外国の通貨を賽銭用のお金に替える両替商やハトやヒツジなどの犠牲動物を売る商人たちが、わが物顔で、神殿を利用していました。彼らは異邦人たちが静かに祈る場所として確保してあったその所で、巡礼者たちを相手に悪どいボロ稼ぎをしていたのです。さらには神殿の祭司たちも、これらの商売人たちを取り締まる利権の上にあぐらをかいてしまっていたのです。
こういうことですから、イエスさまは彼らにこう言って抗議なさいました。「『私の家は祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなた方はそれを強盗の巣にしている」(マタイ21:13)
なお、人一倍正義感が強くてたくましいイエスさまではありましたが、人間の弱さに同情できないようなお方ではありませんでした。イエスさまは常に弱い者の側に立ち、彼らの友となられたのです。
聖書のことば。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(へブル4:15)

先週の聖歌 新聖歌208
「イエスは愛で満たす 聖霊で満たす」

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。(ヨハネ手紙Ⅰ4:19)

天国の時間 [3分間メッセージ]

みなさま、こばにちは、ぶぅでございます。
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます!!
今年もよろしくお願いします。
今年は、皆様にとってどんな年になるかな。
ぶぅの今年の目標は、もっとたくさん聖書を読むです。
いま、ぶぅは、リビングバイブルで読んでいるのですが、普通の聖書でも読めるようになりたいです。
あと、車の駐車もうまくできるようになりたい!!
やりたいこともいっぱいあるので、昨年がぶぅにとって飛躍の年だったと同様に、今年も羽ばたいていきたいと思っております。はい。
いやぁ、なんか最近真面目だなぁ。ぶぅも成長しました。

一日の元旦礼拝は、「教会形成と伝道のビジョンを求める」でした。
チャペルタイムは無しで、パワーポインタを使って黒田明先生がメッセージをしてくださいました。てことで、今回は3分間メッセージです。
ちなみに、この日、ぶぅの親友、とみーが遠くから、来てくれました!!
いや、本当に遠いのよ、半日がかりで、電車乗り継いできてくれました。
とみー、ありがとう♡
メッセージ入ります。要約は無しです。

天国の時間
いかがお過ごしでしょうか。今回は、「天国の時間」と題してお話をいたします。
「楽しい時間は早く過ぎ、いやな時間はゆっくり過ぎる」。これは誰もが経験していることではないでしょうか。嫌いな授業やイヤな仕事の時間はなかなか終わらないのに、昼休みの時間はあっというまに終ってしまうのです。退屈な時間ほど長く感じるものですが、恋人とのデートの日となると日が暮れるのが何と早いことでしょう。
さて、この不思議な「時間の長さの違い」というものを、とことんまで突き詰めていくと、実は時間がなくなってしまうのだと、言った人がいます。実際に、最高に楽しい時間はあっというまに過ぎて行く。24時間がまるでたった一秒であるかのように、それほど時間を忘れて夢中になれる。こんな環境の中にいる人にとっては、百年も千年も本人にとっては一秒に過ぎない。つまり時間が止まってしまう。それが天国の状態だというわけです。
逆にいやでいやでしょうがない時間、肉体的な苦しみ、精神的な苦しみ、どうしても我慢ができない場所と空間、この中にいるといつまでたっても時間が進みません。つまり、時間が止まって、苦しみは永遠に続く。これが地獄です。
ところで、時間というのは神さまが天地創造によってこの世界を始められたとき、最初に造られたものです。神様は時間という枠組みをまず決められ、その中で歴史を始められました。始まったものには必ず終わりがあるはずです。聖書は次のように言っています。「時が満ちるに及んで、…あらゆるものが、キリストのもとに一つにまとめられます。」(エペソ1:10)神さまが始められた時間。これはいつまでも続くものではなく、満ちるときがあるのです。キリストがもう一度来られてこの世界が終わるとき、時間そのものが消滅するのです。その後に始まるものは、もう私たち人間の理解を超えたものですから、誰も説明することなどできません。
でも、はっきりとわかっていることがあります。それはやがて天国で私たちは救い主イエス・キリストとお会いすることができ、これ以上のうれしさ、これ以上の喜びはなく、今私たちが経験している時の流れという時間など、とっくに止まってしまっているということです。

以上になります。また来週~。
父なる神と私たちの主なるキリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とがありますように。

今週の聖歌♪ 新聖歌423
御神の御殿よ われ深く愛す
いざ行きて主を拝せん 在りし日の心もて

自分中心 [3分間メッセージ]

続けましてこばにちは、ぶぅでございます。
しばらく咳ぜんそくと、アトピー咳嗽と戦っておりました。
吸入器とか初めて見た!!ぶぅはカフェで働いていますので、咳をするのは非常によくないのですね。
知らない人からしたら、「風邪かな、うつったらやだな」って思っちゃうしね。
でも、見事、神さまの勝利。
今はほとんど咳でないです♡
みなさん、お祈りありがとうございました!!

では本題に。今回は協力牧師の先生のメッセージだったので、黒田明先生の3分間メッセージを載せたいとおもいます。お付き合いください。

自分中心
いかがお過ごしでしょうか。今回は「自分中心」と題してお話をいたします。
ある時、東京のビジネス街を歩いておりましたら、畳一枚ほどもある大きな世界地図を見かけました。その地図を見た瞬間、私には何かちょっと違和感がありました。どうしてかと言いますと、その地図はヨーロッパが真ん中で、左側にアメリカ大陸、日本は最も右側、つまり東の端にあったからです。いつも私たち日本人が見慣れている、日本が中心にある世界地図ではなかったのです。
考えてみますとこれは当たり前と言いますか、どこの国でも自分の国を中心にして地図を描くものです。私たちが世界地図を見るときは、いつも日本が中心で、左側にヨーロッパ大陸、右側にアメリカ大陸、そういう地図に慣れてしまっていますから、そうではない地図を見ると違和感を覚えるのです。「すべての国は自分の国を中心にして世界地図を描く」のです。日本のことを「極東」と呼ぶのもなるほどとわかりました。つまり日本はこの地図で見ると、「東の果て」にある国なのです。
「自分中心」。このことは地図をかくときぐらいでしたら、ほほえましいと笑ってすませることができます。けれども、人間関係にこれを持ち込みますと、大変厄介ことになります。人間同士の争いのほとんどの原因はこの「自分中心」です。いつでも自分が正しくて相手が悪いのです。現代は人間関係で悩む人がとても多く、カウンセリングが大流行になっています。しかしカウンセリング理論の大前提は、「カウンセリングによって相手を変えることはできない。カウンセリングで変えることができるのは患者本人だけ」なのです。
現代人神を見えなくさせているのは自分中心です。キリスト教の根本的教えは「神中心」であって人間中心ではありません。見えない神さまは人間を造り、イエス・キリストという目に見える方によって現れてくださいました。それで初めて、人間はこの神さまを知ることができるのです。もしあなたが「人間は造られた存在である」という大前提を認めるなら、あなたにとって神さまは、もうあなたのすぐそばにおられるお方です。そしてこの方は、今、あなたの心の扉をたたいておられるのです。
聖書のことば。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼と共に食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(ヨハネの黙示録3:20)

以上になります。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今週の聖歌♪ 新聖歌284
「ひたすら求めよ 今も主は
誓いの御霊を 与え給う」

落ち着いて待つ [3分間メッセージ]

みなさま、こばにちは。 ぶぅでございます。
朝ですね。。。昼ですか?
おなかすきました。。。食べました?
秋ですね。。。春でした。
ぶぅの頭は一年中、お花畑です。
♬あかとーんぼ あかとーんぼーのはねーをとーったら あぶらむし!!
・・知ってる人ー?これで年齢がわかります←

今回で、益子キリスト福音館での、協力牧師先生のメッセージが最後になります。
寂しいですね。たまに遊びにきてくれるかな。
とても、ダンディな先生でね、雰囲気柔らかいし、メッセージはわかりやすいし、奥様、いつもニコニコだし、ぶぅは先生夫妻が来てくださるの、とても楽しみだったのです。
でも、ぶぅは、「人に執着しないこと」って諭されることがあるので、先生夫妻のこれからをお祈りして、次に行きたいと思います。
てことで、黒田明先生の3分間メッセージです。

落ち着いて待つ
いかがお過ごしでしょうか。今回は「落ち着いて待つ」と題してお話をいたします。
子育てなどの相談でたびたび親御さんに申し上げることばの1つに、「温かく見守ってあげてください。上手に見守っていけば必ず新しい変化が訪れますから。とにかく落ち着いて待ちましょう。」というのがあります。これはただ相手を慰めようとして気休めに言っているのではありません。子供の心身の成長や発達、また家族との心理的な変容過程などについても、ある程度の予測をつけながらのアドバイスなのです。
ところが、いくらそう言われても問題の解決が長引き、一向に好転の兆しが見えてこないと多くの方は、「先生。いつまで待てばいいのでしょうか。子供の将来のことを考えると、このままではやはり不安なんです。どのようにして待ったらいいのか、その待ち方を教えてください」などと、待つことの苦しさ、むずかしさを訴えられるのです。確かに問題を抱えている方々の立場に立って考えれば、そう言いたくなるのはごく自然であって無理もないことです。
しかし、私のつたない経験から言えることの1つは、もし親御さんが少し落ち着いて待つことができるならば、結果は良い方向に向かう可能性は高く、また待つことを通して家族全体に新しい「気づき」が起こり、その待っている期間が貴重な訓練のときともなり得るということです。何よりも苦しんでいる子供たちの多くが、親に対して「待っていてほしい」という気持ちを持っている事実を知ってほしいために、「落ち着いて、待ちましょう」と申し上げるのです。
とはいえ、待つということは当事者にとってみれば、やはりつらく苦しいことです。しかし、長い人生には転機や変化というものが必ず起こってきます。いつどのように訪れてくるのかは私たちにはわかりませんが、そのときを待ちたいと思うのです。
聖書のことば。『神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って、静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなた方は力を得る。」』イザヤ30:15

以上になります。ここまで読んでくださりありがとうございます。

父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。エペソ6:4

今回の聖歌♪ 新聖歌325
「恐れは変わりて 祈りとなり 嘆きは変わりて 歌となりぬ」
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