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「人に仕える」イエスの模範に学ぶ [チャペルタイム]

みなさま、こばにちは、早朝からぶぅでござい。
忙しい一週間でした。
いやぁ、本当に忙しかったね。
毎日、8時間くらいしか眠れなかったね。
今、隣で、姪っ子が独り言言いながら絵を描いているのだが、ほっといていいのだろうか。
返事したほうがいいのだろうか。
・・・ほっとこう。うん。

てことで、チャペルタイム入ります!!
今回は、黒田眞琴先生です。ありがとうございます。
ちなみに、今日の説教は、協力牧師の先生です。

聖書箇所=ヨハネの福音書13:1~15
説教題=「人に仕える」イエスの模範に学ぶ
中心聖句=主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗いあうべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。

本日は、「最後の晩餐」での出来事を通して、十字架に向かってまっすぐに進まれるイエスが示された「互いに謙遜に仕えあうこと」について教えられたいと思います。
学びの前に、受難日前日までの出来事をまとめてみます。
日曜日 エルサレム入城 月曜日 宮きよめ 火曜日 神殿についての説教
水曜日 ナルドの香油、銀貨30枚の裏切り
木曜日 最後の晩餐、洗足、ゲツセマネの祈り、逮捕
これらを頭に入れつつ、今日の聖書の学びに入ります。

1.イエスの愛(1~5節)
当時のイスラエルでは、現代の日本とは違い、道はほこりだらけで舗装もされておらず、サンダルを履く習慣のあった人々のあ足は、招かれた家に到着する頃には、汚れた足になってしまうのでした。ですから、それぞれの家には、足洗い用の水を溜めた水がめが準備されていて、お客は足を洗ってから家に入るのです。普通の家では、水差しとタオルを持った、足洗い専属の奴隷がおり、もしそのような奴隷がいない場合は互いに足を洗い合う習慣がありました。
しかし、この日、弟子たちは足を洗うことをせずに、二階の座敷に上がってしまったようです。
彼らは、愚かにも、自分たちの中で誰が一番偉いかということにのみ心が向いていたため、足を洗うという奴隷の仕事を避けて、汚れたままの足で二階へと上がり込んでしまったのです。
イエスは何度も新しい王国を打ち立てることを、語ってこられ、そのため弟子たちの中には、この晩餐が、いよいよローマ帝国の支配を打ち破る新しいイスラエル王国を建設するための、決起集会であると勘違いする者たちがいました。

1節をご覧ください。
「世にいる自分のものを愛されたイエス」が「その愛を残すことなく示され」ましたとあります。それが、弟子たちが「奴隷の仕事」と決めつけて、自分たちからは決して成そうとしなかった「洗足」という行為でした。4節。そこには、「上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰にまとわれた」主のお姿があります。5節。「たらいに水をいれ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた」のです。師であるイエスは、ご自分が「この世を去って父のみもとに行くべき時が来たことを知られ」、その弟子たちにその愛のすべてを表しておられます。
その弟子たちは、師であるイエスの語ることを十分に理解せず、自分本位な話題に心を傾けていたのです。イエスの近くにおり、直接教えを受ける恵みの中にいた彼らでしたが、残念ながら、その心の目は、本当には見えておらず、その心の耳も閉ざされていたのでした。

2.イエスの解説(12~20節)
イエスは、神の秩序の中で発揮される「リーダーシップ」が世間一般のリーダーシップとは違うことを教えます。一般に「リーダー」とは、支配する人、指図する人を指します。けれども、神の国のリーダーシップは支配ではなく、「仕えること」にあるのです。
この「仕える」と訳されるギリシャ語のもともとの意味は「配慮する、提供する」です。私たちはリーダーの最も重要な役割は、「心遣い」であることを知ります。親のような心遣い、親のようなかかわり方がリーダーに求められる最も大切な姿勢であると考えます。
この親のような心遣い、かかわり方とは、無償の愛のからでているものです。主イエスもこの洗足の出来事を愛の表れとして語っています。
「教育」という言葉には「教えること」「育てること」の二つが使われています。イエスの訓練は、ただ聖書を教えたのではなく、愛をもって弟子たちを育てるものでした。

私たちは、聖霊によってイエスを主であると信仰告白し、イエスの自己犠牲の姿を模範として生きるように教えられながら、聖化の歩みをたどっています。主の謙遜の姿勢に照らされながら、私たちの心を常に点検していただきつつ歩んでいます。信仰者であるからといって、まったく失敗がないわけではありません。自分の力に頼っては失敗し、自分の無力さをとことん知らされ。自己に絶望するでしょう。その時こそ、弱いところにこそ働かれる神の全能を知るのです。

以上になります。ここまで読んでいただきありがとうございます。

今回の聖歌♪ 新聖歌404
「弟子となし給え わが主よわが主よ
弟子となし給え わが主よ
心の底より 弟子となし給え わが主よ」
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