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宮きよめ 2 [チャペルタイム]

2.弟子たちのとユダヤ人たちの反応(17~22節)
イエスの行動に対して、ここに二つの反応があります。
1つは弟子たちの反応。「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」というみことば(詩篇69:9)を思い起こしたとあります。
ここからわかる弟子たちの態度は驚きながらも、イエスの行動を主のみわざとして受け止めたということです。

これに対してユダヤ人たちの反応は、しるしを求めたということです。
この反応に対するイエスの返答「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」はユダヤ人たちを非常に驚かせました。
彼らは主のことばの真の意味を理解できなかったのです。
イエスが語られたのは、建物としての神殿ではなく、ご自身の十字架の死と3日目の復活についてでした。主ご自身のきよいお体を全人類の罪を贖ういけにえとして、十字架をその祭壇とすることで、神殿(祭壇)という建物は必要でなくなるのです。神殿とは神の臨在の象徴であり、主ご自身がその神殿なのです。
弟子たちでさえ、このときのイエスの真意がわかっていませんでした。

イエスの公生涯の終わりに行われた2回目の宮きよめをきっかけに、ユダヤ人指導者たちが急速にイエスを殺そうと動き出します。
こうして神を冒涜する者としてイエスが殺されたこと、3日目によみがえられたことを通して、弟子たちにもその意味がわかり、イエスを神の子キリスト、神殿の真の所有者、また礼拝を受けるべきお方としていよいよ深く信じるようになっていったのです。
このイエスの十字架と復活は、今まで動物の犠牲を必要とし、何度も繰り返し行われてきた人々の神殿礼拝を廃止させました。そして、イエスご自身を通してのただ一度の十字架の贖いによる新しい礼拝を人々の内に確立させたのです。

3.人の心を知っておられるイエス(23~25節)
人は奇跡を求めます。けれども残念ながら、人はその奇跡にのみ目を向け、その奇跡の背後におられる神を見ようとしないのです。「多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。」とあります。
人はしるしを見ないと信じないものなのです。けれども24.25節には、イエスの人間理解を表す、「すべての人を知っておられた」「人のうちにあるものを知っておられた」とのことばが続きます。感情に流されやすく、つまずきやすい人々の心をご存じの主は、どのようなことが起こっても、人々にご自身をお任せになることもせず、人々の証言も必要とはなされませんでした。

私たちはここで、私たち自身の神理解を確認したいと思います。
イエスこそ神の子キリストであるということが明確になっているでしょうか。また、イエスは礼拝を受けるにふさわしいお方、礼拝を受けるべきお方であるということについてはどうでしょうか。
礼拝を捧げる場所である私たちの会堂も、み言葉と聖霊によって常に導かれるきよい交わりのある教会として、神に用いていただきとたいと願います。

主は、十字架の死と3日目の復活の後に、弟子のひとり、デドモと呼ばれるトマスに現れてくださり、「信じない者にならないで信じる者になりなさい。(中略)見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:27、28)と言われました。私たちも、苦痛の待つ十字架に向かって、神の御心を行うために、まっすぐ進んでくださったイエスご自身を知りながら、主をまっすぐ信じ、日々心からの礼拝をおささげする者でありたいと思います。

今は、この復活の主が私たちの礼拝の中心です。私たちに真のいのちを与えてくださるために、主が成してくださったことを思いめぐらし、主を心から礼拝する者でありましょう。

以上になります。なかなか削れなくて長くなってしまいました。
ごめんなさい。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

今回の聖歌♪ 新聖歌 376番
「汚れのみ多く いさおはなけれど 君は血潮もて 洗わせ給えり」
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