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ナアマン [チャペルタイム]

みなさま、こばにちは。ぶぅでございます。
ぶぅ、絹豆腐で、きなこアイスと抹茶アイスをつくりました!!あとね、ほうじ茶ゼリー。
でも、まだ食べていないのです。
あ、抹茶アイスは、母上様から、おいしいという評価をいただきました。
もしかすると、ぶぅは変態かもしれません。
間違えました。
もしかすると、ぶぅは天才かもしれません。
とか言って自分で考えたレシピじゃないんだけどね←
・・・要約入っちゃう?
今回は眞琴先生です♡ありがとうございます♪

聖書箇所=Ⅱ列王記5:1~19
説教題=ナアマン
中心聖句=すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。(ヤコブ1:21)

本日、私たちが学ぼうとしている旧約の登場人物は、預言者エリヤの後継者であるエリシャの時代、イスラエルの侵略者、敵であったアラムの将軍ナアマンです。この「ナアマン」から、「素直にみことばを信じる信仰の姿勢」を学びたいと思います。

最初に、今回の箇所に登場するもう一人の人物「エリシャ」についても見ておきたいと思います。
Ⅰ列王記19:15~21の箇所には、預言者として召されたエリシャの覚悟を見ることができます。
エリシャは、24頭もの雄牛を耕作に使用するほどの裕福な環境にありましたが、彼が心配したのは持ち物ではなく、自分か神の働きに召された後の家族のことでした。
私たちは、このエリシャの姿勢から、家族に対するクリスチャンとしての模範を教えられます。エリシャは礼儀正しく、家族に感謝を伝え自分の召しのことを伝えました。私たちも、身近な家族にこそ丁寧な対応で感謝を伝えたいと思います。

「エリシャ」の名前の意味は「神は救いである」です。まさに、彼はこの名のごとく、神の預言者として50年にも渡る長い期間、北イスラエルにおいて、アハブ、アハズヤ、ヨラム、エフー、エホアハズ、ヨシュア王の治世の間、忠実に働き、その優れた働きは、周辺の南王国ユダ、モアブ、アラムにも大きな影響を与えました。

このエリシャの働きの中で、特にすばらしいとされるのが、今回のイスラエルの周辺に位置するアラムの将軍ナアマンの癒しの記事です。

1.将軍ナアマンがイスラエルに来た理由(1~7節)
ナアマンの人物像は、1節の「主君に重んじられ、尊敬されていた」「主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられた」という記述から、主君にとって有能なしもべであり、「主がかつて」とあること、2節のイスラエルからの捕虜の若い娘がナアマンの妻のはしためであったことから、ナアマンの癒しのため、すでに主の御介入があったことが、わかります。
ナアマンには、立派な肩書と立場がありましたが、深い悩みがありました。
1節後半には、「この人は勇士で、ツァラアトに冒されていた。」とあります。ツァラアトとは、「何らかの原因により、人体や物の表面が侵された状態」であります。
ナアマンの場合は重い皮膚病で、人知れず悩んでいたと予想できます。
この病気を癒すというのが、ナアマンがイスラエルに出向いた理由でした。
しかし、イスラエルの王は、このらいをアラムが自国に攻め込むための言いがかりだと思い、アラムに脅威を感じます(7節)。ここには、神の預言者を信じ頼ろうとする異邦の国の将軍ナアマンと、神の民イスラエルの王でありながら、神の預言者を信じきれない王の対比があります。

2.エリシャとナアマン(8~14節)
王の態度を知ったエリシャは、王のもとに使いを出し、ナアマンを自分のもとに来させるように願い出ます。エリシャの思いはナアマンが「イスラエルに預言者がいることを知る」ということにありましたが、もう一つ、イスラエルの王も同様にまことの神の預言者が、神によって力ある活動をしていることを知ることにもありました。

ナアマンは、当然、エリシャ自身が迎え入れて、丁寧に対応してくれると思い、「馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った」のです。この「馬と戦車をもって来て」は、威厳を正し、礼儀を尽くした彼の心が表れています。
しかし、エリシャは自ら対応することなく、「使いをやって言った」とあります(10節)
エリシャの対応にナアマンが怒ったのも無理はないかもしれません。
けれども、エリシャのこの対応には、ナアマンに対する特別な二つの意図があったのです。

一つ目は、力ある神が、ナアマンを癒したと信じてほしい。神の預言者にではなく、神に目を向けてほしいということ。
二つ目は、ナアマンに癒しは特別な方法にではなく、信仰によるのだということを知ってほしいということ。
ナアマンはしもべたちの言葉に促され、エリシャの言うとおりにヨルダン川に7回身を沈めました。
すると「彼のからだは元通りになって、幼子のからだのようになり、きよく」なりました。

3.癒されたナアマンの得たもの
こうしてすっかり癒されたナアマンは「その一行の者を全部連れて、神の人のところに引き返し、彼の前に来て、立って言った(15節)」のです。
「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました(同)」
これは、ナアマンの信仰告白です。

ナアマンには怒っても、しもべたちの言葉に耳を貸すへりくだりがありました。
金銀や地位や人徳という、人間の持てるあらゆる素晴らしい物を持ち合わせていたナアマンでしたが、いつかそれらは、彼を高慢にさせていました。それらを自ら脱ぎ、裸になってヨルダン川に入るという謙遜さが、ナアマンの体にツァラアトからの癒しと、異教徒の彼にまことの神との出会いと、信仰を与えたのです。

ナアマンを救いに導いたのはツァラアトでした。そして、恵みにあずからせたのは謙遜だったのです。
神がみことばを通して示されることに、どんな小さなことでも従順に応答し、悔い改めることは全て悔い改め、内に住まわれる聖霊に導かれながら、勝利の生活を送る者でありたいと思います。

以上になります。よんでくださり、ありがとうございます。
どうか、父なる神と主イエス・キリストが、あふれるばかりの祝福と平安とを、あなたがたに与えてくださいますように。(Ⅱテサロニケ1:2)

今週の聖歌♪ 新聖歌276
「われには他の 隠れ家あらず 頼る方なき この魂を 委ねまつれば 御慈しみの
翼の陰に 守らせたまえ」
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