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サムソン [チャペルタイム]

みなさま、またまた遅れまして、こばにちは。
ぶぅです。
ぶぅは最近、って言っても、去年の9月ですが、免許をとりまして。
ですが、危ないっていうのと、心配っていうのがあって、しばらくは母に助手席に乗ってもらっていました。先月からカワチと職場(車で約10分)、教会は一人で行けるようになりました♡
そして、なんと!!今日は!!一人で!!真岡に行ってきます。
まだ、バック駐車ができないので、ほんと行くだけですが←
はい。行くだけです。一回りして帰ってきます。
がんばれ、ぶぅ!!
そんなノリに乗っているぶぅが、今日もやりますよ!!はい、チャペルタイム要約です。
今回は、黒田眞琴先生です。

聖書箇所=士師記16:4~22
説教題=サムソン
中心聖句=私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13)

士師記に登場するリーダー、士師は12人おり、サムソンはペリシテ人の国境近いイスラエルのダン族に属する12番目の士師です。彼は、父マノアと、長らく不妊であった母との間に待望の第一子として生まれました。その経緯は士師記13章にあります。あるとき、主の使いが、母に現れ、言います。「生まれてくるその男の子を生涯のナジル人(聖別された者)として育てなさい。」と。
主の使いは母になろうとしているこの女性にお命じになったのです。
長らく不妊で、祝福されない女性とされてきた彼女は、一気に、神に仕えるナジル人の母とされるのです。
さて、こうして月日がたち、確かに主の使いが告げられた通り、母はみごもり、男の子を産みました。名前はサムソン(意味は「太陽の人」「太陽の子」または「破壊的」「強健な」)とつけられました。ナジル人については、民数記6章に詳しく記載されていますが、サムエルは①お酒を飲まない②汚れたものを食べない③髪の毛を切らないという3つの約束を守ること、これらを幼少のころより、両親から学び、育てられていったのです。
こうして神の選びの中育てられたサムソンには、特別な賜物が与えられていました。それは、人並み外れた、超自然的な力、怪力という賜物です。また、他の士師たちと違うのは、他の士師たちが民を率いて外敵と戦うのに対し、サムソンはたった一人で多くの敵を悩ましました。
様々なエピソードが聖書に記載されていますが、物語の主人公としては非常に魅力的です。
しかし、イスラエルの信仰的リーダーとしては、必ずしも褒められた点ばかりの士師ではありませんでした。彼には決定的な弱点があったのです。
1つ目は、彼には自己中心的な幼児性があったということです。
彼は自分の感情をうまくコントロールすることができなかったのです。14章にこんな記載があります。ある日彼は、ペリシテ人の娘に出会います。一目見てすっかり気に入ったサムソンは、家に帰ると父と母に「ティムナであったペリシテ人の娘を妻にしたい」と言い出します。
当時のイスラエルでは、まことの神を知らない者との結婚が禁じられていましたから、両親は反対しました。するとサムソンは駄々をこねて、強引に自分のわがままを通し、結婚してしまいます。
結局、自分の感情をコントロールできない彼の結婚生活はうまくいかなかったのですが、これも神の御手の中のことだったのです。

二つ目の弱点は、女性の涙に弱いということです。
彼は、デリラというペリシテ人の女性と出会い、彼女を恋慕うようになります(16章)けれども、残念ながら、デリラにはサムソンへの愛はなかったようで、報酬につられてサムソンの弱点を探るために、サムソンと共にいました。
サムソンは何度もデリラにせがまれ、彼女に、ナジル人としての秘密を教えてしまいました。
サムソンはペリシテ人にとらえられ、両目をえぐりだされ、足かせをはめられ、ついに牢の中で臼をひくという非常に悲惨な結末を迎えるのです。その引き金となったのは、異性に対する彼の弱さと何度騙されてもそこから学習しない彼の未熟さでした。

ここで確認しておきたいことがあります。
サムソンはナジル人としての契約のゆえに、神から特別な力を与えられていましたが、それは単に髪の毛に力の源があったわけではなく、神が共におられるゆえの力であったということです。
サムソンにとって、この投獄の日々は決して無駄ではありませんでした。
そして、聖書は、この悲惨な状況の中にあっても「サムソンの頭の毛をそり落とされてから、また伸び始めた」と光を与えています。
彼は、ここで、今までの自分自身を神の前に深く悔い改める機会を与えられました。
彼は自分の力にうぬぼれ、だんだん自分勝手になってしまっていたことを悔い改めました。
彼は祈りました。「サムソンは主に呼ばわって言った「神、主よ。どうぞ私を心に留めてください。ああ神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。」と。

このサムソンの真実な悔い改めと祈りに、神は確かにお応えくださいました。
悔い改めて神に立ち返ったサムソンを、神は豊かに赦してくださったのです。
それだけでなく、神は彼を再び立ち上がらせ、士師として豊かに用いてくださいました。

私たちはここに「神のあわれみ」を見ることができます。
どんなに失敗の多い私たちでありましても、悔い改めて、神に立ち返るならば、神は悔い改める者を顧み、その関係を回復してくださるのです。
私たちは神によってのみ強められる存在であり、この地上にあって神の民として雄々しく証しの生活ができるのは、この神によって強められているからなのです。このことをしっかり心に覚え、私たちの意思をもってこの神に従っていきたいと思います。

以上になります。中心聖句をまた書いて終わりにしたいと思います。
『私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13)

今週の聖歌♪ 新聖歌357
「わがより頼む主は 委ねたる身と魂を
守り得給うと 確信するなり」
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