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神の国にふさわしい人(パリサイ人と取税人の祈り) [チャペルタイム]

みなさん、こばにちは、ぶぅでございます。
更新遅くてごめんなさい。
ぶぅは今生活習慣改善中です。
2,3日前まで、夕方の6時に寝て、夜中の1時とかに起きて、お菓子を食べて、うつらうつらしてという、よくわかんない生活リズムをしていました。
5時ぐらいになると、何事にも集中できなくなっちゃって、いいや寝ちゃえ!!ってなってたのです。。。が!!、最近顔にニキビが。。。やばいくらい増えちゃって(-_-;)
これはだめだっと思い、おとといから、頑張って10時近くまで起きて、朝は7時に起きるという生活リズムに変えようと、頑張っております。

それはさておき、ごめんなさい、先週の日曜日のチャペルタイム要約です。
今回は黒田明先生です、ありがとうございます。

聖書箇所=ルカの福音書18:9~14
説教題=神の国にふさわしい人(パリサイ人と取税人の祈り)
中心聖句=神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。(詩篇51:17)

きょうのところには、二人の人が登場してきます。パリサイ人と取税人です。イエスさまは、このたとえ話にふたりの人物を登場させ、対比させながら、どういう態度が神に受け入れられるのかを教えています。ある日のこと、パリサイ人と取税人がお祈りをするために神殿へとやってきました。すると、目立ちたがり屋のパリサイ人は、きれいな服を着て、いかにも自信ありげな様子で神殿の中に立ちました。実は、彼は他の人に教えられるくらい聖書をとてもよく勉強していました。それにいつも人のお手本になるようなよい行いもしていました。とりわけ、貧しい人たちへの施し、1日3回の祈り、また一週間に2度の断食をきちんと守ることでは、誰にも負けていませんでした。それはそれで確かに立派なことですが、彼の悪いところは、そういったよい事をわざと人の見えるところでしていたということです。イエスさまはある時、「よい事は人に知られないようにしなさい。右の手がする事を左の手に気づかせないくらい、よい事はこっそりしなさい。」とおっしゃいました。
ところが彼は、人に褒められたい、人に見られたいという思いから、よい事をしていました。
この日も彼は、遠くのほうに取税人が立っているのを見て、心の中で「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。」とお祈りしました。
一方、取税人は神殿のすみに立ち、うなだれたまま悲しそうに自分の胸をたたいて、祈りにもならないような祈りをしました。
「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」
当時、ユダヤはローマの支配下にありました。そして取税人の仕事はというと、ローマに納める税金を同胞のユダヤ人から集めるというものでした。しかし彼らは、必要以上にお金を取り立てては自分のふところを肥やしていたのです。ですから、取税人というと人々から大変に嫌われていました。
ここに登場する取税人は、パリサイ人の彼とは全く対照的です。自分の罪深さを知っていました。自分に失望し、こんな救われがたい自分を神に救っていただきたいとの魂の叫びが、「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」ということばになって、出てきたのです。

ところで、イエス様は誰を対象に、このたとえ話をされたのでしょうか。それは「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たち」にです。また、このたとえ話は、パリサイ人と取税人との姿を例にとって、私たちにも「ふたりのうち、あなたはどちらに似ているか」を自問自答させようとしているのではないでしょうか。私たちにとって遠慮がちで謙遜な取税人は共感を誘います。一方、うぬぼれきった誇り高いパリサイ人には深い反感を感じます。しかし、「神さま。このパリサイ人のような人間でないことを感謝します」と言っている自分があるとするなら、それこそこのパリサイ人と少しも変わらないのではないでしょうか。
「感謝」は祈りの大切な要素の1つですが、人を見下したり、敬虔さのひけらかしによって生じる感謝は、神に受け入れられるものではありません。他人を自己の優越感の引き立て役にする人、みてくれの敬虔さをひけらかす人は、神に受け入れられないのです。
では、どういう人が神に受け入れられるのか。このたとえ話の取税人の祈りは、自分をほかの人と比較せず、短くも「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」というものでした。どんなに短くても、彼の祈りは神としっかりつながっていました。しっかり繋がっていたからこそ、憐れみ深い神に自分の弱さをさらけ出し、自分の罪を言い表すことが、できたのです。
一方、パリサイ人の場合、彼の祈りは神への祈りの形をとっているかもしれませんが、実はほかの人々にそれを聞いてもらいたがっているだけにしかすぎなかったのです。彼は神にしっかりとつながっていなかったので、自分の弱さを隠し、自分の罪を取り繕う生き方しかできずにいたのです。
私たちの祈りが人や人の評価につながってしまうのではなく、憐れみ深い神にしっかりとつながっていく、そういうものでありたいと思います。

以上になります。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。(第Ⅱテサロニケ1:2)

今週の聖歌♪ 新聖歌449
「父なる御神に 今帰らん
この世を後ろに われ帰らん
帰らん帰らん われ帰らん
神よ愛の手 伸べ給え」
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