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しきりに願う祈り [チャペルタイム]

みなさん、遅れましてこばにちは、ぶぅです。
日曜日ですね。相変わらず更新が遅くてごめんなさい。

さて、昨日は鹿沼・栃木・益子合同青年会でした。
赤ちゃん含めて、10人が集まりました。
赤ちゃんは最後のほうにちょこっとだけど。
11時に集合し、バターチキンカレーを作りました。リーダー大活躍でした。
めっちゃ頼りになる!!
そして、ごはん食べながら、映画鑑賞。「ソウルサーファー」を見ました。
泣くのを我慢するの大変だった。
勇気がでました。みなさんも見てみてちょ。
そのあと、ルカの6:27~36を輪読し、分かち合い。
節ごとに、感想を言い合ったのですが(参加は8人)、本当にいろんな意見があって、考えがあって、思うところがあって、自分のうわべだけ拾った意見が恥ずかしかったです。
でも、勉強になりました。

てことで、チャペルタイム要約入ります!!
今回は黒田明先生です。
聖書箇所=ルカ11:1~13
説教題=しきりに願う祈り
中心聖句=わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。
そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。ルカ11:9~10)

よく言われていることの1つに「祈りとは、神さまとの会話である」というのがありますが、本当に
そうだなと思います。祈りとは、神さまとの会話であって独り言ではないと思うのです。
あなたの祈りは独り言ではないと本当に確信をもって言えるでしょうか。私があえてこのようなことを申し上げるのも、「私の毎日の祈りは、本当に神さまとの会話になっているだろうか」と自問自答していただきたいからです。
たとえば、あなたが誰かと会話しているとして、あなたのほうから一方的な話が始まるまではいいとしても、自分の話が終わってしまうと、相手からの返事を待たずに立ち上がってどこかへ立ち去っていくというようなことがあるでしょうか。そんなことをしたら相手に対して失礼になると思います。
ところが、祈りという神さまとの会話になると、そういったことを平気でやってのけてしまう方々がかなり多いのです。例えば、子どもたちの祈りはたいていそうです。目の前においしそうなごちそうが並んだりすると、一刻も早く食べたいという願いから早口な祈りになったり、口先だけの感謝になったり。そのわりには「アーメン。いただきます。」という言葉だけには、嬉しい正直な子供たちの気持ちが込められている。けれども、そこには神さまからの語り掛けに耳をかそうとする思いや時間や祈りのもう一つの側面などそういったところの意識が、残念ながら彼らはまだ薄いのです。

そこで、もう一つ確認しておきたいのですが、ことらから一方的に語り掛け、またお願いするだけでは会話になっていません。むしろ神さまがこの私に何を語り、何を示し、何を求めておられるのか。そういうところに耳を傾けながら、しっかり聞くという態度を持ち合わせていることが、本来の祈りであるということをいつも忘れないようにしたいと思います。


祈りについて、私たちは多くのことを学ぶ必要があると思うのですが、今回は集中してなされる祈りの大切さをごいっしょに学んでみたいと思うのです。
現代人の悩みの一つに、心を集中することができにくくなっているということがあります。多忙のあまり、あれやこれやと心が分散してしまって、一つのことに心を傾けるということができにくくなってしまっていると思うのです。なお、このことは祈るということにもあらわれているのではないでしょうか。例えば、デボーションをしている最中に歯磨きや爪切りのこと、掃除洗濯のことなどがふと気になりだすと、デボーションに集中できなくなり、ときにデボーションを中断してしまうこともあるわけです。

今回のところですが、ここはイエスさまの模範的な祈りと、また大事な祈りの態度についてが取り上げられています。「主よ。私たちにも祈りを教えてください」と弟子のひとりにお願いされたとき、こう祈りなさいと教えてくださったのが、「主の祈り」です。ここには祈りについてきわめて大事なことが教えられています。別なことばを使えば「心臓を強くして頼み込む」ということになります。私たちが心をかたむけ、集中的に何かをしようとするとき、一所懸命になります。そして気が付いたら恥も外聞も捨てて、なりふりかまわず行動していたということがよくあるように、それこそ祈りも真剣になればなるほど、普段、気にしがちな自分の体裁もどこへやら、それこそ正直な、時に涙と鼻水の出る、ときに神さまに喧嘩を吹っ掛けるような祈りにもなっていくのではないでしょうか。
今回のイエスさまの教えはすぐに祈ることをやめてしまいやすい、またあきらめてしまいやすい、私たちに対して、失望しないで祈り続けることの大切さが教えられていると思うのです。
さらには、私たちの求めに対して、神さまは喜んでそれを与えてくださるお方でもあるということが教えられていると思うのです。もう一つ大事なこと。私たちがこの地上で何より求むべきは聖霊である、ということを、13節から伺い知ることができるのではないでしょうか。
喜びあるクリスチャン生活、勝利あるクリスチャン生活の秘訣は、聖霊にあるということを覚えて、それこそ真剣になって聖霊の満たしを、聖霊の導きを求めようではありませんか。聖霊が私たちを内側から励まし、私たちを祈り続ける者へと変えてくださるからです。

今週の歌♪ 新聖歌196
祈れよし道は 暗くあるとも
祈れすべてを 主の手に委ねて

あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイ6:6)
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